カウンセリング料

私が行き始めたカウンセリングは非営利団体で、料金はこちらの収入によりけり。「料金」とも言わず、「寄付」という言葉を使う。英語なのでDonationね。で、どのぐらいの収入の人はどれだけ寄付してくださいという目安になる表がちゃんと受付に用意されていて、私はもう半年ぐらい無収入なので当然最低額の$30。・・・だと思ったんだけど、カウンセラーに「いくら払えるの?」って聞かれて「無収入なので$30です。」と堂々と答えた私に、カウンセラーはちょっと微妙な表情で「仕事をはじめたらもっと寄付してね」って言ったの。その言い方が胸に少しひっかかりつつ、とりあえず生返事をして帰ってきたんだけど、1週間以上たってじわじわとわかってきたことがある。彼女も私の問題は軽いと思っているんだなということ。

前回は初めてだったから私も何を言っていいのかわからず、とりあえず今までの人生について、親に虐待されたことなんかを言ったんだけど、カウンセラーは私の英語や仕事の内容を必要以上に褒めちぎっていたのね。私をリラックスさせるためだと言うことはわかっているけど、実際に私の給料はたぶん彼女より高いことを悟ってもいたと思う。だから私が最低額だけしか払おうとしないことに、「もっと払えよ」って思ったんじゃないかって、確証は無いけれど思う。そして化粧してパリッとして、にこやかにはきはき話してきたからうつ病でもないと思われただろうし。

あたし結構他人を信じないタイプだから、カウンセリングに行くなんて本当に最後の手段なんだけどな。でも昔から強がりが染み付いているから、悲壮な顔なんかできないのよ。うつ病の薬を処方してもうらう時に、生まれて初めて「虐待」という言葉を医者に言ったら、涙が止まらなくて恥ずかしかった。そんなの二度とごめんなの。あたし人前で泣くのはものすごく屈辱だと感じるの。だからもうイヤなの。

泣いたりしないと問題が深刻だって信じてもらえないの?カウンセラーにすら相手にされてないような感じがちょっとだけする。

関係ないけど、あたし人前で泣く人間をうらやましいと思うの。男の気を引く涙とかじゃなくてね、悔しい時に涙を流してなぐさめてもらっている人とか見ると、「この人、人前で泣けるほど他人を信用しているんだな、幸せな人生なんだな」って。泣いている人に向かって「幸せな人生」はないだろって声もあるだろうけど、私には幸せ自慢にしか見えない。かと言って私も人前で泣いたことがないわけじゃないんだけど、そう言うときはものすごく屈辱的で顔もあげられない。その屈辱感でまた泣けてくるから止まらないし、その後も自己嫌悪でどん底。あたしは当分、カウンセリングでも泣きたくないから、泣かないで話せる範囲しか話せないよ。これでは意味がないのかな。