ストレス

カウンセラーが2ヶ月ほど休みを取るから、別のカウンセラーに変わることになった。次の回がいつになるか連絡すると言ったきり、連絡がないまま1週間が過ぎたのでこちらから連絡してみたら、全く手配がついていないことがわかった。「たいしたことではない」と自分に言い聞かせてはいるが、どうしても「いつもこうだ」と言う否定的な言葉とか、「だからこの国は」などと言う対象を広げるような発想が自然に心を占める。

言い換えて:
『今回は』たまたま忘れられただけかもしれない。『次は』もっと早くこちらから連絡を取ろう。

へへ、今読んでる本がこんな感じの言いかえを推奨しているのでやってみました。こんな七面倒くさいことをやっていられるかと思う心さえ、『次は』面倒くささが少し経るかもしれない。

ねえ、私は小さい頃から被害者になるのだけはイヤだと思いながら生きてきたんだよ。「私は被害者じゃない、私は大丈夫、私は勝つ」って、必死で叫んでた。その意識を25歳を過ぎてから手放したの。虐待されていたことを認めて、虐待していた相手には最初から勝ち目なんかなかったことに気付かされて、そうしたらもう自分を支えるものが何もなくて、坂道を転がるようにウツに落ちてった。

今読んでいる本で、被害者の意識に陥ってはいけない、あなたは被害者ではなくて生き残った勝者なのだからって言うのよね。そうなんだけど、私には被害を認めまいと戦った25年と、被害を認めてウツと戦った10年があって、その10年が間違っていたと言われているようで痛かった。

でもまあ、今こうして書いているうちに思ったことだけど、その25年の間には次から次へと心身症に悩まされていたわけで、10年の間になんとかそれらを克服できたことを思えばやっぱり進歩なのかな。過去に遡って何が悪かったのか考えても解らない場合もあるから、今ここから始めることが重要だと著者も言っていることだし、忘れることはできないけど考えても仕方の無いことだと諦めて、今日から未来について考えることにしよう。