晴れて2回目

2度目のカウンセリングに行ってきた。今回は時間をやや間違えて、待合室で1時間半ぐらい待つことになったんだけど、机もいすもコーヒーもあったので新聞読んだり本を読んだりで問題なし。・・・のはずだったのに、一人で新聞を読みながらノートに書き書きしてたら「あら、忙しくしてて偉いわねぇーー」みたいなことを言われ、カチンと来ちゃった。だってカウンセリングに来てるのは目的を持った継続的な努力ができず、アンダーアチーバーであることを改善したいからであって、「一日中鬱々として何もできません、私はどうしたらいいんでしょう」なんて聞きに来ているわけじゃないのよ。私はできる努力は全部した上で、越えられない壁があるから相談に来ているの。まるで役立たずのひきこもりみたいに扱かわれてものすごく不愉快だったわ。

やっぱりカウンセラーって家でごろごろできる甘えた環境にある人だけを「問題が大きい」って見なすのかな?次回似たようなことがあったら「人を怠け者みたいに扱わないでください」って言おうかな。「家でごろごろしている人だけがうつ病じゃないです」って言う必要もあるかもしれない。って言うか単に、あたしの問題を勝手に決めてかかるのはやめてくれ。

まあでも金払っているわけだから話はしたよ。母親の事とか父親のこととか。母親のバックグラウンドについて話せって言うからさ、恵まれた環境に生まれ高学歴で基本的には努力家であるとそのまま述べたらさ、「あなたは母親のことを誇りに思っているように見える」とか言い出したんだよね。母親は非の打ち所の無い母親になろうとかなりの努力をしていたことは事実だからさ、それを否定する気はないだけなのに、いきなり間違った分析されちゃったわけだから困ったわよ。だから「私は事実を言っているだけで、母親本人を誇りに思っているわけじゃない」って言ったんだけど、うん、きっと伝わってないね。なんか通じているなって思える瞬間もあるんだけど、早合点して結論を急がないで欲しい・・・。

あとはすごい小さい頃の記憶があることとかも言ったら、「写真からもいろいろわかるしね」みたいなことを言われた。写真で見たことを記憶があると錯覚することはよくあって、それを示唆しているんだなとわかったから、写真では絶対にわからないことですって言ったんだけど、言葉どおり受け止めたとは思わないね。小さい頃の記憶があるのは写真を見て自分の記憶だと錯覚しているんじゃないの。そう言う可能性がない記憶をちゃんと探しているの。私はバカじゃないから。

正直に言って、人と話すことにはそれでも意味があるなと思う。間違って受け取られることですら、そこに沸き起こる怒りを自己分析するとまた新しいことがわかる。例えば褒められるのがキライなのは私が称えられたいからだとか。褒めるというのは上から目線でしょ?称えるのは見上げることでしょ?私は見下されるのは絶対にイヤなの。私をバカだと思う人間と話すのは疲れるの。私をバカ扱いする人間は、思い切り叩き潰してやりたくなるの。あ、もちろん暴力的にじゃなくて心理的にね。私にはそれが可能だから、我慢するのつらいのよ。

今日はカウンセリングが終わった瞬間、カウンセラーがため息ついてたのね。カウンセラーが早合点することにイラついて、何度か「そうじゃなくって…!」とか「そうは言ってません」というようなやりとりがあったからだと思うけど、こちらもちょこっとうんざりしたよ。お金払ってても、カウンセラーにも甘えちゃいけないの?期待しちゃいけないの?

あたしをバカ扱いしないで、ちゃんと話を聞いて。

って、あたしと同程度の知性があるかどうかも解らない人に、期待する方が無理なのかな、所詮。でもこうやってあたしはいつも助けを求められないで来たし、相手はトレーニングを受けてきた人間のはずなんだから、もう一度話してみるか。こんな期待度の低いカウンセリングだけに、自分でも行く末が楽しみ、半分不安。