他人をすごいと思うとき。

私はTOEICでなんとなく900点を(海外に移住する以前にね)取ったんだけど、自分の英語には自信は無い。たしかに海外で英語に困るわけではないし、英語で仕事をして英語で簡単なプレゼンテーションなどもしていたし、もちろん英語で勉強して英語で報告書を書いたわけだ。でもそれをどう言うふうに今活かしたらいいのかわからない。

例えばこの方:
http://blogs.dion.ne.jp/friends_english/archives/cat_122838-1.html

フレンズのDVDで英語を勉強されて、900点を超えたということで『偉い』のよ。すごいのよ。でももっと偉いのは、それを本にしていること。私もフレンズを見ながら、英語の勉強にいいと思ったし、これは英語を学んでいる友達に勧めようとは思ったけど、自分はフレンズの英語が大体理解できてしまうので、それを使った勉強法を本にすることまでは思いつかなかった。別に900点が取れなくても、400点を700点まで独学で上げた人はそのテクニックを本にして同じレベルの人を助けることができるし、ぶっちゃけ私より英語ができないのに「英語ができます」って胸を張って仕事をしている方は世の中にたくさんいると思うの。それでも私は自分の英語の能力のどこをどう活かしていいのかが、正直全然わからない。

上には上が、下には下がいて、私レベルでも本を書いたり人の役に立つことができるはずだと思うのにね。勉強に関しては自分があまり努力をしてこなかったから、出来ない人が出来ない理由は頭が悪いから仕方が無いとか思ってるのかもしれない。私が奢っているんじゃないんですよ、念のため。うちの兄弟はもっともっと出来が良くてもっともっと努力家だから、私なんて及びも着かないの、今も。実は両親も二人とも優秀で、学校のテストで100点をとっても「うちの子なんだからあたりまえ、自慢するな」って言われて育ったの。いつも「駄目、駄目、駄目」って。偏差値は科目によっては80を超えることもよくあったのに・・・、あたしは典型的なアンダーアチーバーです。

そういえばね、中学生の頃は理科と数学が得意でいつも100点かそれに限りなく近い点を取っていたんだけど、一度も先生に褒められたことなんかなかったのね。それでも一度だけ勉強しなさすぎて、92点ぐらいだったことがあって、その時だけ先生が私を抜いた子を褒めたの。クラス全員の前で「立石さん、今回はがんばったな、すごいな」って、それも2回ぐらい。だから立石さんの隣の男の子がその子の点数を盗み見して、「すげー!96点だ!」って騒いだのね。そうしたら他の子たちも「すごいすごい」って大騒ぎ。私が100点取ったって人前で褒められたことなんか一度も無かったのに、なんで私を抜いた人には称えられてんの!?って、これはものすごく不満だったね。それまではあんまり意識したことはなかったんだけど、自分はできて当たり前って思われて、がんばってもがんばらなくても褒めてもらえないんだなって。

あたしの出来がいいのは親のせいで、あたし自身は褒めるに値しないんだなって。

皮肉なんだけど、うちの母親はいつもいつも褒められていたからわりとがんばり屋で、本人としては子育てもがんばったのね。でも「私は人よりは良い母親なはず」って言う奢りが私たち兄弟を苦しめて、結果としてみんな思春期に入るとものすごい問題が起きたの。それで親はどうしたかと言うと、「私はあんなにがんばったのに誰も褒めてくれない、馬鹿馬鹿しい」って言って、子育てを放棄したの。食事もおざなり掃除も適当。でもちゃんと長期で仕事をしていた人にはわかると思うけど、大人になったら仕事なんて「できて当たり前」でさ、上手く言ったって上司に褒められるわけじゃないでしょ?自分でがんばって自分で自分を褒めても、ちょっとしてミスにけちつけられるのがオチでしょ?それでも自分が満足できる仕事ができる時がたまにあって、ちょっとそれで自信がつくんだよね。

いつも褒められて育った母は、大人になっても誰かに褒めてもらって当たり前だと思い、がんばったのに失敗すると放り出す。褒められずに育った私も、大人になっても「褒められたい」って思ってて、しかもがんばることもできない。何の負の連鎖かねぇ?私もせめて自分を支えたいと思うけど、支えたところで幸せになれるわけじゃないしって思っちゃうんだよね。あんまり幸せな子供時代じゃなかったから、これから幸せにって言われてもよくわからないんだよ。そういうことを、次回のカウンセリングで言ってみようと思う。