問題は解決できる。らしい。

あたし逃げてた。自分でもそれはわかっていたし、逃げられるうちだけでも逃げて生き延びようって思ってたんだから、それはそれでひとつの方法だったんだけど。でも近頃やっぱりなんとかしなきゃって気になってきて、「問題は解決できる」って、たったそれだけの言葉で今日は少し前向き。先のことなんて考えないで、1つ1つ問題をクリアしていくか。それで駄目なら死ねばいいんだしね。

物事にはタイムリミットがあって、私を虐待した親をどうしたらいいのかとか考える。最後に一度あって、ちゃんと自分の立場を伝えた方がいいのか、いまさら何がどう変わるわけじゃないからこのまま一生合わない方がいいのか。親も年だし、その決断は早くしないと親も死ぬしね。できればこの手で苦しみを与えたいぐらいなんだけど。

私の実家はキリスト教だったんだけど、最近仏教の言葉がしみてくる。「三毒」とか。

私ね、歌手の誰が好きとか女優のだれだれが好きとか言うと、必ず兄弟にバカにされていたの。「その人整形してるんだよ」「あの人歌下手だよ」とか、根拠があるのか無いのかわからないようなことばかりだったけど、いつのまにか「好きだと行ってもバカにされない歌手」や「好きだと行ってもバカにされない女優」を探す癖がついてた。学校も仕事も趣味でさえも、なんだか自分が好きなことをやるよりも、バカにされないかどうかいつも戸惑ってた。

兄弟だけじゃなくて、日本って本当に情報があふれているでしょ?何をやっても否定するような考え方には出会うわけじゃない?それにいちいち反応してた。それでどうやって生きたら賢いのか、どうしたら自分らしく生きられるのか、完全に自分を見失った。今もその続き。まあ、兄弟には悪気があったわけじゃないだろうから恨みは無いんだけど、この事実を認めて、で、ここからどうしていったらいいのかわからない。わかったとしても、それを実行できるかはまた別なんだけど。